思い出置き場

不定期更新

7月20日 痛ましい事件の感じ方

今まで見てきた夢は数知れないが、今日はその中でも群を抜いて怖い夢を見た。どうしても頭を離れてくれなくて、正夢にならないようにと、会う人たちに話して回った。といっても現実に起こりうるリアリティの夢じゃなく、夢は所詮夢だけど…それでも話せば不安が分散されていくような気がした。

それからは適当にアニメのDVDを好きな回だけチャプターリピートしながら、ネットを漁ってだらだらする。たまに弟とゲームをしたりして。

近頃テレビとネットからは離れていたので、今世間を揺るがすような大事件が数々起こっていることを知った。許せないとか悔しいとかそういう気持ちも味わったけど、一時の怒りが燃え尽きた頃にはなんだか何も考えたくなくなっていた。

だって、人の死は止められないものであって、それをあとで「こんなことがありましたよ」と言われても、仕方ないとしか思えない。

結局は命の距離をどう感じるか。家族が死んだら悲しさを通り越して狂いそうになるかも、でもどこかの知らない人が死ぬのは止められないから仕方ない、という感覚。

被害者やその関係者に祈りを捧げたら、それで何もかもが終結してしまう。それ以上自分達にできることがないと言うと歯切れが悪いけど。

周りから見てもそう、自分が死んだら家族は悲しむだろうが、知らない人にとってはただの悲劇。それくらい距離がある。

不謹慎かもしれないけど自分はそうだと考えてメディアから離れた。最近のニュースとかは陰鬱すぎてあまりいい気分ならない…。

久しぶりの更新なのに暗い話でごめんなさい。


おやすみなさい

7月9日 無題

もう精神的にだめかもしれない。ネットも開いてないし、ブログの更新もしてない。タイトルすら思いつかない始末。

見てもらいたいという欲はない。が、もし、自分が読者登録していた人がある日を堺に突然更新をやめていたら不思議な気持ちになるはず。多分これはどのブロガーの読者さんもそうだと思う。

だから今日は重い腰を上げてこれを書いている。正直今はもう書きたくない。でもこれをやめたら、またひとつ「何かを諦めた」という事実ができてしまって、それが後に自分を潰すことになるかもしれない。現にそうだし。

といっても、冒頭に書いたような中身のない愚痴は誰も見たくないだろうな、とは薄々感じている。読者さんをネガティブな気持ちにさせたくない。でも今は、それ以外に書くべきことが何もない。

もう2019年後半だというのに、絵も描けてない、夏服も買ってない、人形をクリーニングに出せてもない。何をしてた?受験勉強してた。結局退学してしまったけど。

あまり思い出とかもない。虚しい。

七夕の日に行ったイオンで、笹に願い事を書いた短冊を飾るスペースがあった。書こうと思った。けどもう子供じゃないから、くだらないからと、気にしてないフリして用事を済ませた。こういうところでちゃんとしないからダメなんだ。思い出になったかもしれないのに。

風呂に入るのも、ご飯を食べるのも、掃除も洗濯も皿洗いも。やるけど本当はもうやりたくない。いけないことなんだけど、周りの目とかどうでもよくなってて、それほど自分の悩みにしか気が向かない。

こうやって引きこもりやニートというのが生まれていくんだな、と体感している。まぁ、これからだろう。


おやすみなさい。

7月1日 5年後の部屋

「2chで15年かけて969まで育てたスレが荒らしに埋められた」というブログを読んだ。懐かしくなってしまったので、自分も子供の頃を振り返ろうと思う。

ミナコイチャットというチャットサイトがある。2009年に開設され今年でちょうど10年になった、少し歴史が浅めのサイト。自分がまだ入り浸っていた時は昼夜問わず1000人単位の参加者(うろ覚え)で賑わっていたが、今は300人いれば良い方みたいだ。

当時小学3年生で3DSを買ってもらい、うごメモで絵を描いたり見たり褒め合ったりして過ごすのが日課になった頃、3DSしか持ってないような子供がみんなで集まって雑談したい時に使うのがミナコイだった。そこからはズブズブと沈むようにのめりこんだ。

7、8年前だったか。公式ルームのひとつだった小学生部屋に居座って、雑談をしたり近況報告したり、サイコロ機能を使って出目の数を競ったり王様ゲームをしたり。同時入室バグで定員オーバーさせてもみくちゃになって話したり、当時の自分からすれば順風満帆なチャットライフを送っていた。それはもう楽しくて仕方がなくて、話題の尽きない常連のみんなが大好きだった。

2014年12月の年末、「愚痴部屋」と名付けて部屋を立てる。きっかけは友達Yが荒らしだと勘違いされBANされたことによる怒り。Yは20代ながら口少々威圧的な態度でキレのある容赦ないディスりを披露する女たらしだったが、打ち解けた人にはフレンドリーに接してくれるため、仲良くなれた時の喜びは凄まじいものだった。それもあって、怒りが臨界点に達したのだろう。犯人に目をつけられないように愚痴部屋と銘打ち、こっそり立てた。

そこでYを励ましたら消すつもりだったが、他の常連に見つかったことにより、内輪話中心の部屋になっていく。荒らしが入ってくる暇もなく、連日大量のログが流された。

そうして中学2年生になった頃には、少しずつチャット離れしていった。今に至るまでの間、たまに思い出すことはあっても、部屋を覗くことはなかった。というか、変な喋り方や態度を取っていた時の見るに耐えない過去ログを見たくなかった、というのが正しい。

しかし今日、冒頭のブログを読み、ふとこの部屋を見に行った。そして口から心臓が飛び出るくらい驚いた。当時仲間だった小学生たちが数人通ってくれていたのだ。

2ヶ月くらいの間隔でポツポツと近況報告が残されている。鉢合わせることもあるようで、たまに短く雑談もされていた。

約3万もある無数の部屋の中からなぜここを思い出し、なぜ足繁く寄っていってくれるのか。わからないが、みんな口を揃えて「懐かしい」と言う。もう16歳。ギターを弾いていたり、相変わらず絵を描いていたり、みんなそれぞれ道を進んでいる。「救われた」、なんて照れくさい言葉も書いてあった。

嘘は何一つない。というか、自分でも信じられない。みんなの記憶にそこまで自分がこびりついてるなんて誰が想像し得ようか。

あの頃に戻りたい…。冒頭のブログの15年と比べるなどおこがましさすら感じるが、確かに心の底からこみ上げてくるものがあった。これからもこの部屋は大切にしようと思う。


おやすみなさい。